日本でのBBOYING

『日本への進出』


 では日本に初めてBBOYが現れたのはいつなのか。

「ROOTS OF STREET DANCE」18)によると、1982年にアメリカで公開された映画「Flashdance」が1983年7月に日本で公開された。そのFlashdanceの中のごく数十秒のワンシーンに衝撃を受け、BBOYINGを始める若者が殺到したのであった。

 更に同年10月に映画「WILD STYLE」の日本公開が決まった時に、そのプロモーションの一環として多くのHIPHOPアーティストが来日した。その中にはあのCrazy-Legs率いるRSCもいた。RSCは池袋パルコでパフォーマンスを行い、これが日本で初めて生のBBOYINGを目にすることが出来た瞬間であった。

 これらが日本にBBOYINGを大きく浸透させるきっかけになったと言われているが、ホームページ“Phot Soul”19)では、原宿にはそれ以前から既にBBOYINGは踊られていたと書かれている。


 ディスコブームが終焉を迎えつつある中、多くのダンサーが全ての流行が集中してた原宿の歩行者天国にダンボールを持って練習に来るようになった。TVCMにもBBOYING的な振り付けが取り入れられていたという所から、この当時BBOYINGが社会的なブームとなっていたことを想像するのは容易であろう。


『日本でのBBOYINGの隆盛』


 2つの映画が公開された後、原宿に集まっていたBBOY達はチームを組んだりしながら各々のスキルを磨いていた。1986年頃には原宿、横浜などで「ファンキージャム」、「東京BBOYS」、「フロアマスターズ」、「B-BOP CREW」などの代表的なチームが現れ始めた。“Phot Soul”19)では、BBOYING第一期世代では現在HIPHOP Creatorと言われる人達が次々とむかえる敵チームをバトルで圧勝し、敵なしの黄金期を作ったと書かれている。


『日本でのBBOYINGの衰退』


 「ROOTS OF STREET DANCE」18)の中で、「1987年になるとBBOYING自体が一般の人にとって敷居の低いものではなかったし、踊っている人たちの間でも出来る人と出来ない人の差が極端に激しくなったこともあり、多くの人が辞めていった」とあるように、BBOYINGの勢いは急速に衰えたのである。

 さらに決定的となったのは、1988年後半から1989年にかけて日本に新しく“NEW JACK SWING”というジャンルのダンスが入ってきたことである。これによりブームとしての勢いを失いつつあったBBOYINGは、さらに時代に取り残されていくこととなった。


『BBOYINGの低迷』


 1990年になると、テレビ朝日系で「DADA LMD」、フジテレビ系で「ダンスダンスダンス」というテレビ番組がスタートし、日本におけるHIPHOPムーブメントは確実にヒートアップを始めた。

 さらに1991年には「天才たけしの元気が出るTV(日本テレビ系)」で、「高校生制服ダンス甲子園」というコーナーが設けられた。これらの番組ではBBOYINGだけでなく様々なジャンルのダンスがお茶の間に流れた。こうしたことにより、若者たちのダンスに対する認識はより身近なものにへと、変化していったのであった。


 そしてこの頃からNEW SCHOOLのダンス(HIPHOP [ Freestyle ]、HOUSEなど)が流行し始め、BBOYINGはさらに影を潜める存在となった。その理由として、HIPHOPのダンスは真似しやすく、ファッション的にも流行に敏感であったことに比べて、BBOYINGは鍛錬が必要な技が多く、ファッションは動きやすいように常にジャージであったことなどが考えられる。

 

 今までのダンサーは、かつて不良といわれ、血の気が多い若者ばかりであったが、テレビ番組で放送されるようになったことで一般の若者もダンスを始めるようになった。ダンスがより大衆のものへと、敷居が低くなった証拠であった。


『BBOYING復活』


 ホームページ“HIPHOP DA WORLD”20)によると、1992年、RSC NY再結成により、一気に日本のクラブシーンも盛り上がりを見せる。

 1993年ブレイクダンス同好会10周年を記念して、Crazy-Aが川崎クラブチッタでBREAKING NIGHTを開催、日本全国からBBOYが集まった。その後 Crazy-AはCrazy-LegsからRSCの日本支部(RSC JAPAN)を任され、深夜番組オールナイトフジリターンズにBBOYINGのコーナー「YO! BREAKIN」を作り、メディアを通じて世間に広めた。そして、ニューヨークからRSCを招き、一気に第二黄金期がスタートした。

 Crazy-Aはその後もBREAKING NIGHT他数々のイベントを手掛け、“BBOY PARK2003 パンフレット”によると、1998年には東京BBOYS活動15周年をきっかけに、代々木公園にて「BBOY PARK」を開催し、流行により日本では認識の薄かった“HIPHOP”の正しい文化を改めさせたのであった。


『日本における現在のBBOYING』


 その後も「RAVE2000(テレビ東京系)」や「RAVE2001(テレビ東京系)」などのテレビ番組が放送され、2002年にはテレビ番組「めちゃめちゃいけてる(フジテレビ系)」のあるコーナーをきっかけに、BBOYING人気を再度爆発させた。また2004年には「少年チャンプル(日本テレビ系)」というテレビ番組が放送され、ダンスを単なる流行でなく文化として確実に定着させた。

 しかし、これらの番組では一般の視聴者にわかりやすいようにBBOYINGのPower moveに“難易度”を定め、器械体操に近い認識を植えつけてしまった。


 メディアが社会に与える影響というものはこれほどまでに大きいものなのかということが手に取るようにわかる。このメディアをどのように利用していくかで、今後のStreet danceの位置付けもまた変わってくるであろう。しかし、メディアによって今現在BBOYINGに限らずダンスの人気は不動のものとなっているのは確かな事実であり、その結果ダンス人口が増え、お互いが刺激しあい、スキルが進化している。


 こうした中で日本国内で独自に発展したBBOYINGも、世界から見て目覚ましいレベルにまで進化し、2005年に行われた「Total Session」という世界大会では見事優勝という偉業を成し遂げたのである。その他多くの世界大会でも上位に入り、日本のBBOYINGシーンのレベルの高さを世界に見せつけている。

 そのためか、現在ではメディアがBBOYINGを中心に取り上げ、Music video・TVCMなどにも多く取り入れられたことで、大衆がBBOYINGを目にすることが多くなり、輸入された1983年当初に比べ身近なものとなった。更に近年には地方でもBBOYINGのスクールが開校され、より敷居の低いものとなった。

群馬大学ストリートダンスサークル B-STYLE 。今年で創立20周年を迎える。現役在籍者数は総勢なんと約100名!県内外で幅広く活動している。荒牧キャンパス第二体育館にて、毎週水・日曜日19時~から全体練習を行っている。